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what's 浮世絵

当時世界一とも言われる人口を誇った新興都市・江戸。
活気あふれる江戸の町民たちの間で浮世絵は育まれました。
浮世とは、「現代風の、当代の」を意味しており、浮世絵とはすなわち、その時代時代の最新の流行を映しだす最先端のメディアだったのです。
また浮世絵には役者絵、美人画、名所絵、武者絵、花鳥画、春画、死絵など様々な題材があり、その時代の文化そのものを映し出すメディアだと言うこともできます。
浮世絵には、肉筆画と木版画の2種類あります。
肉筆画は、絵師が絹や和紙に筆で直接色彩を施したもので、この世に1点しか存在しない貴重な作品です。制作に絵師以外の人間が関わらないため、絵師の個性や感性が直に現れる作品と言えます。
木版画は、絵師が墨で描いた線描画を元に彫師・摺師ら熟練の職人たちの手によって作られる作品です。北斎の神奈川沖浪裏や広重の東海道五十三次之内など現在私たちが浮世絵と呼んでいるものは、この木版画を指しています。

江戸手摺り木版画とは?

浮世絵は初め、書物に墨一色の木版印刷されたものであり、本の挿絵でした。それが次第に挿絵から独立し、絵単体として摺られるようになり、人々が気軽に楽しむ芸術作品として売られていったのが始まりです。
その後墨一色で摺った上に手で色をさしていく、手彩色(てざいしき)という手法へと進んでいきました。
それから鉱物質の丹(赤)などを筆でさす「丹絵」や紅を筆で施す「紅絵」、紅だけでなく緑など2,3色を摺り上げた「紅摺絵」へと発展していきました。
そして見当(けんとう)という版木に紙を置く位置を示す目印発明によって多色摺りが可能になり、色鮮やかな彩色を実現した多色摺りの「錦絵」が登場し、今私達が浮世絵といってパッと頭に浮かぶ、いわゆる浮世絵が作られるようになりました。見当をしっかり合わせることで、版木を色毎に分けて製作しても和紙の位置がずれなくなり、一つの作品に何色もの絵具を重ねることが出来るようになったからです。そしてこの「錦絵」の登場によって、浮世絵文化はここから一気に盛り上がりをみせていきました。この多色摺り浮世絵の誕生は、今で言う出版社にあたる版元の指揮のもとで絵師が絵を描き、職人が板に彫り、摺師が摺るという分業による制作体制を確立しました。

木版画は以下の流れに沿って制作されます。
浮世絵の製作工程の流れ(多色摺り)
まず版元から依頼を受けた絵師が版下絵を描きます。
版下絵は墨線で輪郭線が描かれた線描画です。
彫師が版下絵の線描画に沿って彫り上げます。
この時彫られた版木を主版(墨板)と言います。
この版木を摺ったものを校合摺と言います。校合摺は、色の数だけ摺られます。
色を分解し、校合摺に朱で色を指定していきます。
彫師が校合摺を元に色ごとに版を作ります。この板を色板と呼びます。
摺師が見当を合わせながら摺り上げます。
摺りは、主版、色板の順に摺ります。色は薄い色から濃い色の順番に摺っていきます。

浮世絵の種類

木版画には「初摺り」と「後摺り」そして「復刻」という3種類の分類があります。
「初摺り」とは、初版のことであり、彫り上げられた版木から最初に摺られたオリジナルの版画のことです。江戸時代では、初摺りでおよそ200枚程摺られたと言われています。また絵師も製作現場に立ち会っていたため、絵師のイメージが最も反映された版画だそうです。
作品の人気が出てくると、その需要を見込んで追加生産する必要が出てきます。この追加で摺ったものを「後摺り」と言います。江戸時代では、後摺りの段階で絵師が立ち会うことはなく、摺師や版元の意向で色味や色数が決められていくことが多く、初摺りの作品と比べて色味が変わったり色数が少なくなったりしたと言われています。例えば葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」のうちの一つ、「赤富士(正式名称「凱風快晴」)」は、朝日が染める富士山の鮮やかな赤が印象的ですが、あの赤みは後摺りのものだと言われています。初摺りと言われるものを見てみると、経年劣化の影響もありますが、薄く淡い色調でまとめられており、後摺りのものとはまた違う柔らかな印象を受けます。その他数多くの作品で初摺りと後摺りの間に様々な違いが見られますが、それは決して初摺りがいい、後摺りが悪いというわけではありません。皆様の感性で素直に感じればいいのです。
版木は、摺れば摺るほど木が痛み表面が摩耗していくので、線の切れがなくなったり、版のズレなどを引き起こしてしまいます。そのため版画から再び版に起こし別の新しい版木を作る必要が出てきます。この版木を用いて摺られたものを「復刻」と言います。オリジナルは絵師が描いた線描から版に起こされているのに対し、復刻ではオリジナルから摺られた版画から版に起こされているという点で大きく違います。

海を超えて伝わる伝統文化

「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」
これは1999年にアメリカの雑誌『ライフ』が行った企画です。この100人に選ばれた唯一の日本人、それが浮世絵絵師・葛飾北斎でした。世界でこれほどまでに強い存在感を放っている浮世絵。そのルーツは今からおよそ100年程前に遡ります。
時は19世紀、黒船の来航、開国を経て、日本は長きに渡る鎖国から一変、諸外国との貿易が始まります。それによって多くの日本の工芸品が海を渡りヨーロッパへと流入していきました。 開国以前からヨーロッパでは日本に対する関心が高く、こうして日本文化が大々的にヨーロッパに入ってくるようになると、その人気は一気に高まり、フランスはパリを発端に”ジャポニズム“と呼ばれる日本美術ブームが巻き起こりました。
浮世絵はジャポニズムの中心的存在でした。
ルネサンス期に端を発する世界を写実的に捉えて表現するという考え方、いわゆる写実主義がそれまでの西洋近代絵画の常識でした。世界をどこまでもリアルに表現するという視覚文化が深く根ざしたヨーロッパに突如として現れた日本の浮世絵。
モチーフの対象、平面的な画面構成、色彩感覚、そしてなにより”線“という概念。それら全てが彼らにとってそれまでの常識を覆されるような衝撃的な出会いでした。そしてこの出会いが西洋の美的感覚を大いに刺激し、それまで流れていた芸術の潮流に一大変革をもたらしました。浮世絵に現れた日本独特の視覚文化は、伝統的な写実主義から脱却して自由な表現の道を模索していた芸術家たちを大きく後押ししました。そうした流れの中で新たな芸術の潮流が生まれました。それがゴッホモネなどに代表される印象派なのです。中でもゴッホの浮世絵への心酔ぶりは、有名でかなりの浮世絵コレクタ−でもあったそうです。パリの画材屋の画商を描いたとされる「タンギー爺さん」の絵の背景には、溪斎英泉や歌川豊国(三代目)、広重などの浮世絵の模写が描かれていたり、広重の名所江戸百景の「大はしあたけの夕立」、「亀戸梅屋舗」の油絵での模写が残されています。しかし異国情緒を感じ、日本への強い憧れを持ちながらも、一度も日本を訪れることなくこの世を去りました。
絵画のみならず他の様々な芸術分野にも影響を与えた浮世絵は、非常に人気を集め、多くの作品がヨーロッパに渡ったと言われています。そして現在では海外の由緒ある美術館に所蔵されており、その数実に20万点を超えるとも見られています。
およそ250年に極東の小さな島国で生まれ、話す言葉も歩んできた歴史も違う全く別の文化を持った異国の地で受け入れられ、評価されている浮世絵文化。後世に伝えていかなければいけない文化の一つです。

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