home>>special issue>>洋画家・広田稔

表現者は語る 洋画家・広田稔

瞬浮世屋は、役者やミュージシャン、スポーツ選手など、ジャンルや国籍を問わず様々なシーンで活躍される“表現者”の内面にある想いを映し出す浮世絵を制作してまいります。そしてそれらの表現者の想い溢れる姿を描く画家の方々ものまた“表現者”なのです。画家という人たちは、絵を描くということをどのように捉え、そしてどのような視点でこの世界を見つめているのでしょうか?絵、もっと言えば色を表現手段として選んだ彼ら画家の心の内を、絵ではなく言葉で伝えていきます。


広田さんの作品は、見るというより覗くといった方が鑑賞するときの表現として正しいのかもしれません。描かれた瞬間に無防備で純粋なその人の姿が垣間見えるからなのかも知れません。瞬浮世屋の浮世絵制作では、ジャベール「星よ」とコゼット「父よ 光よ」の2作品の肉筆画を描いていただき、役者が心の中で作り上げた別の人格をイメージするままに表現していただきました。

広田稔さんは、現在年間およそ300もの作品を作り出しており、今までの約30年の画家人生の中で描いてきた作品の数は4,000程度と言います。2004年には内閣総理大臣賞を受賞するなど、高い評価を集めています。膨大な数の作品を描いてきた広田さんは、絵という言葉を持たぬ表現ツールにどのような想いを込めたのか、そして浮世絵という伝統に向かい合うことで今改めて思う広田さんにとっての表現とは?

人の生活感が感じられる風景の方が描いていて面白みを感じる

広田さんの絵には、女性が多く描かれています。「女性のしなやかな曲線、形の美しさみたいなところに惹かれる。」そのルーツは幼少のころに遡ります。「母親が書家だったんだけど、男子は割りと漢字で女子はかなを勉強するきらいがあった中で、僕は子どもながらにきちっとした漢字よりも仮名の字体の流れとかがなんとなくいいなぁって思っていた。だからそういう線自体のやわらかさ、しなやかさを求めていった時に、女性の姿形にはすごく魅力を感じた。」しかしながら広田さんがバレリーナなどを描くとき捉えようと意識する瞬間は、ポーズを決めている瞬間というよりはむしろ、練習している姿や休んでいる時などのその人の素が現れている瞬間なのだそうです。「その時に感じられる人間くささがいい。風景を描く場合なんかも、人物がいなくても電柱があったり、洗濯物が干してあったり、人の生活感が感じられる風景の方が描いていて面白みを感じる。なんというか基本的に人が好きなんだよ。」誰かの存在を意識している時に見せる人の姿は、その人のようで完全にその人でないのかもしれません。そこにいる自分は、他人というフィルターを通して作り上げられ、自分が最もよく知る自分なのです。しかし他人の意識がない時、人は最も自分の心に素直であり、自分でも気づかない姿を見せるのだと思います。「役になりきっている中でもどこか本人の素が現れている部分を探してしまう。」そしてそういう瞬間を捉えたいと思うのは、画家として、もっと大きい括りで言えば表現者としての性なのかもしれません。

ページ上部へ

浮世絵制作の現場で感じたこと

そのような点から言えば、今回の浮世絵肉筆画は、それまで広田さんが描こうとしてきた人間の素、その人の本質が現れる部分を映しだそうとする絵とは軸が違うものだといえます。役者という人間は、演じている時はすでにその人本人ではなく、心の中は別の人格であり、全く別の人間になりきっているのです。悲しみや喜びをそのなりきった人間のものとして受け取るからこそ涙や笑みが自然とこぼれていくのだと思います。そして今回浮世絵を作るにあたって大事にしたことは、“役者の心の一瞬”を映し出すということ。役者が心の中に作り上げる役の像を、役者さんから直接話を聞く中で膨らまされたイメージを描いていただきました。しかしながら作られたものを描くといういつもと違う作業に戸惑いを感じたと言います。「岡さんは目には見えないパワーを持っている人で。役に入っていない素の時でさえ人間そのもののパワーを感じたほどだった。完全に役になりきっている姿でも、どこか本人の部分がないか探してしまう。今回はどの部分を映すことがいいのか結構悩んだりした。ファンの方は役として完全に決まっている瞬間を映したほうがいいのか、実は練習中みたいに役者さんの素の部分を映したほうがいいのか、その距離感みたいなものをつかむのがなかなか難しかった。」またイメージした世界を描くということもあり、構図を設定する際、最視点や距離をどうするかという面で苦労されたそうです。「普段絵を描くときから自分はどこからそれを見ているのかというのは考える。よく『優れた絵画は作者の居場所が分かる』と言うんだけれども、今回は見る側がどこにいるのかと考えた。観客席から見たものなのか?上から見たのか下から見たのか?近いのか遠いのか?もしくは実際にはありえない場所から眺めたのか?そういう自分の視点の距離、高さに関してはかなり意識した。」頭の中でいろいろ考えてから描くのではなく、デッサンを何枚も描いて実際に線を引きながらイメージを作り上げていくという広田さん。今回浮世絵でも同じように何回もデッサンを繰り返したそうで、ジャベール「星よ」では実に200枚以上のデッサンを描いたといいます。

また一方で自分が描いた絵が版画になっていくという過程の楽しさを発見できたそうです。「昔劇団のアルバイトをしていたんだけど、演劇の何が楽しいかって最後幕が降りた後、幕の内側でスタッフ同士で拍手して喜び合うあの瞬間がいいんだよね。みんなで一緒にものを作る楽しさがそこにはあると思う。版画も似たようなところがあって、みんなで分担してやるでしょ。版元があって、彫師がいて摺師がいて、みんなで相談してひとつのものを作り上げるのが版画の面白いところだと思う。一人で全部やっちゃう絵描きにはあまりない楽しさだった。」

今回の浮世絵制作は、広田さんの中に確実に確実にあると思う。浮世絵的な、平面的な何らかの爪あとを残したと言います。「影響は空間の中にも奥行きが感じられる空間設定の仕方だとかを今後自分の中に取り入れていけたら面白いなぁと思う。」

ページ上部へ

絵描きとしていかに毎日きれに生きていけるか

広田さんが手に筆を取り、キャンバスに向かう理由とは何なのでしょうか?そして膨大な数の作品を描き続けてもなお描き続けてゆく広田さんが求め続けているものとは何なのでしょうか?「○○賞受賞とか、いくら売れたとかは所詮浮き世の夢で、別にそれは僕にとってはどうでもいいこと。僕が絵を描くときに一番大事にしているのは、自分が何に感動して対象を描くのかということ。だから自分があるものや人、風景を見た時に感じた感動がそこに表現できていればそれでいい。」画家としての富や名声ではなく、自分が気に入るものをとことん求める、ある種独りよがりでわがままな姿勢は、画家としてすごく重要なことだと言います。「当然絵描きだから人に感動や元気を与えられる作品を作っていきたいと思わないこともないけど、それ以上に絵描きとしていかに毎日きれいに生きるかということが僕の中では一番重要な目的だと思う。それは何か物を見てそれに感動してそれを表現したり、デッサンの基本を怠らないようにしたりとか、結局それらを繰り返していけるかだと思う。」広田さんが日々心掛けているのは、余計なことは考えず自分のイメージに近づけるために描いては消しを繰り返す画学生的なスタンスで自分の感覚を磨いていくことだそうです$lが絵を見て感動するのはあくまでその結果に過ぎず、それまでの過程でいかに純粋に自分の理想とする美を追い求め努力し続けるかが重要なのです。「表現したいものが描けたらやめる。自分が表現したいイメージが出来上がると、次ぎ描くときには、もうそのイメージができているから手際よく描けるんだけど、なんか面白くないんだよね。描きたいイメージは何となくあるんだけど、自分の今の技量でどうなるかわからないからこそ描くのであって、そのイメージを探す行為が面白い。」

今の自分の技量でどうなるかわからない。だから面白い。

広田さんは絵描きという仕事を「終わりのないゲーム」と言います。「ゲームが続き続けるというこんな楽しいことはない。」ただ広田さんは簡単なゲームはやるつもりはないようです。「例えばテニスの試合で、ものすごく上手い人が初心者に勝っても全然面白くないと思うんだよね。多分テニスが一番楽しくて充実している時って、試合に勝った時じゃなくて、自分よりひとつ上の相手と戦っていて負けそうなんだけど何とか持ちこたえている時だと思う。絵を描いている時も一緒で、描いている時が楽しい。それも自分の技量ではどうなるかわからない難題なものを描くのが面白い。」

今回の取材を通して広田さんの絵描きとしてのピュアな気持ちを垣間見ることができました。広田さんは「画家としてきれいに生きるため」今日もそしてこれからもただひたすらにキャンバスに向かい自分の理想とするイメージを表現するのです。

ページ上部へ

広田稔さん公式ホームページ:http://www.netlaputa.ne.jp/~m_hirota/


日本画家・平子真理日本画家・笹本正明

摺師・板倉秀継、伊藤達也彫師・関岡祐介、菅香世子