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伝統を受け継ぐ人々 vol.1 摺師

瞬浮世屋が伝えたい役者の“想い”。そこにはそれを伝えようとする人たちの“想い”があります。このコンテンツでは長年の修行の果てに磨き上げた技で黙々と仕事をこなす職人たちの心。職人たちの目に映る浮世絵の世界とは?作品の上には決して現れない職人たちのリアルな想いをお伝えします。

伝統の職場へ

電車に揺られ辿り着いたところは、都会の喧騒が嘘のように静かで落ち着いた街でした。午後4時ごろ、オレンジ色の夕日が差し込み、東の方から夜が近づいてくるのを感じながら、目的地へ向かいました。途中にある縦長の小さな公園を通り抜けていると、水の流れる音や風が植物達の間を通り抜けていく音があたりの静けさの中でとても心地良く響いていました。取材当日は12月にしては暖かく、外を歩いていて気持ちの良い日でした。公園を抜け5分ほど歩いたところで今回の目的地に到着しました。今回取材させていただいた摺師の一人板倉秀継さんのお宅です。取材をさせていただいたもう一人の摺師、伊藤達也さんも板倉さん宅に一緒に住んでいます。板倉秀継さんと伊藤達也さんは、瞬浮世屋の浮世絵制作プロジェクト第一弾【浮世絵 岡幸二郎 ジャベール「主よ」「星よ」】の摺りを担当していただきました。「浮世絵 岡幸二郎」の制作秘話など、なかなか聞くことのできない職人さんの想いを伺ってきました。

早速職場へとお邪魔すると、板倉さんが摺り台の前に座っており、後から伊藤さんがやってきて板倉さんの向かいにある摺り台の前に座りました。それぞれの作業スペースには、絵具や刷毛、馬簾(ばれん)、和紙などが置かれていました。摺りだけに集中でき、摺り以外の雑念が入る余地のない職人の職場、そんな印象を受けました。確かに摺りは彫とはまた違う神経を使う作業といわれます。水や絵具の量、馬簾で押すときの力加減など一つ違えば仕上がり方が変わってきます。そうやって様々なことに気をつかうだけにこの環境は、当然といえば当然なのかもしれません。むしろそういうことを自然に実践しているところが職人なのだといえます。職場を訪れた時は摺りの真っ最中でした。お二人とも、板に水を染み込ませ、絵具を乗せそれを刷毛で伸ばし、和紙を見当に合わせて置き馬簾で摺りあげる、この一連の工程を途中で乱れることなく流れるような手つきで淡々と、しかし正確に行っていました。取材は伊藤さんの言葉から始まりました。

伊藤達也(以下「伊」)「まぁ、浮世絵の世界っていうのは、もともと歌舞伎とかそういう古い気質のものとつながりの強い部分があるから、外部の人間が始め るのにはとてもハードルの高い世界なんだよ。一から始めようとするとお金だってかなりかかるだろうし、なかなかできることではないよ。」
瞬浮世屋
(以下「瞬」)「そうですね。そういう意味では、瞬浮世屋は木島さん(瞬浮世屋の代表)だからこそ意味があるの思います。」
 「全くの外部の人間ではないからね。確かに木島さんはリクルートでずっとやってきたけど、彫師の家系に生まれ、身近に浮世絵があった。その点では(全 くの部外者が起ちあげた版元とは)違うと思うよ。」

伊藤さんは、手際よく浮世絵を摺りながら落ち着いた口調で話していました。

完成形が先にないものを作る新鮮さ

「今回、お二方には瞬浮世屋プロジェクト第1弾【浮世絵 岡幸二郎-ジャベール 「主よ」「星よ」】の制作に携わっていただいたわけですが、実際やられてみてどうでしたか?このプロジ ェクト全体に対する印象、今までの仕事との違いなどを聞かせてください。」

「瞬浮世屋が目指している、江戸時代に版元がやっていたように浮世絵をプロデュースしていくことっていうのは、さっきも言ったように壁はある。たぶん今ある他の版元だってこういうことをやりたいとは思っているけどできないのが現実なんだと思うよ。だからこそ、それでもやってやろうという気持ちがなきゃダメだよ。その点でいうと木島さんは100年近く行われてこなかった新しい浮世絵事業をやろうっていうんだからすごいことだと思う。瞬浮世屋で作る浮世絵は全く新しいもので、復刻ものとは違って(版画にしたときの)完成形が先にないものを作るという新鮮さがあった。だからいろんなことを試行錯誤しながら制作していく過程は、自分たちで浮世絵を作っていくという楽しさを感じられた。瞬浮世屋がやっていこうとしていることは面白いし、今後を期待している。」
「ありがとうございます。ご期待に添えるよう全力で頑張っていきたいと思います。」

ただ任せるだけではダメ〜版元のあるべき姿とは?〜

「今回ミュージカルを浮世絵にしたわけですが、これは従来の浮世絵にはない全く新しい題材ですよね?この点に関して違和感などはありませんでしたか?」
板倉秀継(以下「板」)「そんなのは特にないよ。おれらは持ってきた版木をやるだけ。」
「まさに職人という感じですね。あの浮世絵は岡幸二郎さんが心の中で思い描いたジャベールの一瞬というのをものすごく意識した浮世絵なのですが、今回浮世絵を摺るにあたってどのようなことを意識しましたか?“摺り”において今までと比べて何か変化はありましたか?」
「そんなの何もないよ。摺っている時は無心。摺っている時にいろいろ考えていたらダメだよ。」
「あんまり余計なことを考えてたら摺りに集中できないからね。」
「ただ最初に絵を渡された時、ジャベールはこの時半分死んでるって言われたんだよ。これって橋から飛び下りている瞬間なんだろ。おれは正直それを言われるまでどういう状況なのか全然わからなかったんだよ。いつもは絵の意味とか考えずに、ただ来たものを決められた通りに摺るだけなんだけど、今回はどういう絵なのかを事前に聞かせてくれたのは良かったよ。」
「『これは魂が抜けていっている感じを表現してる』っていう説明をしてくれて、自分の中で『そういうことなんだ』って納得した上で摺れた。こんなことは今までなかった。」
「そうやって絵の背景だとかを説明をしてくれるとやりやすいよ。」
「絵の良さがわかった上で摺ると摺らないのとではやはり違う。もちろん本当は俺らも生で芝居を見た方がいいんだろうけどな。きっと写楽の役者絵を作る時なんかも、今回みたいに『この絵はこの歌舞伎のこのシーンで…こういう風に摺り上げてほしい。』みたいにきちんと背景を理解した上でやっていたんだと思う。」
「そういう版元の役割が今では機能していないということですか?」
「版元でも彫りや摺りのことなんてわってないところが多いな。今の版元は摺られたものでしか評価できない。版木を見て『あぁして、こうして』と言えない。」
「そう。復刻浮世絵が中心になる中でいつしかなくなってしまったけど、版元の監修力っていうのは大事。ただ彫師から摺師に版木を送るだけでなく、版元が一つ一つの工程に立ち入って、しっかりチェックする必要がある。それが本来あるべき版元の姿じゃないかな。版元に求められるのは、制作に携わるもの同士の関係を密にすること。確かに浮世絵制作は分業だけど、ただ任せるだけではダメ。分業とバラバラでやることは違う。そこを理解して一味違う版元になってほしいな。」

摺師という世界へ

「なるほど。そこが新鮮さでもあったわけですね。話は変わりますが、お二人が摺師の世界に入った経緯を教えてもらえませんか?」
「おれは家業だったから親父の後を継いだだけ。自分の意志でなったわけじゃないね。摺りの世界に入ったのは二十歳から。高校卒業してから2年くらいはアルバイトをしてた。」
「板倉さんはどういった経緯で摺師に?」
「おれは人と接するのが嫌だったから(笑)。こいつ(伊藤さん)のおばぁさんの親戚だったんだよ。中学出てすぐこいつの爺さんのところに弟子入りしたんだよ。」
「中学を出てすぐですか!?その時の親や兄弟など周囲の反応はどうでしたか?」
「そんなもん特にないよ。今だったらきっと引き止められるだろうけど、当時は今とは違う。」
「弟子時代についてお伺いしたいと思うのですが、どのようなものでしたか?」
「最初はお金になるような仕事はできないよ。」
「最初は親方の銭稼ぎだ(笑)。」
「今は一応助成金がもらえるから昔と比べて若干環境はよくなった。まぁおれは親父が摺師で家業だったから小さいころから親父の仕事はよく見てたし、道具も全てそろっていたから恵まれていたところはあったかな。最初のころの仕事は数物といって、色数が比較的少なく摺り数の多いもの、例えばうちわなんかが多かった。1日に何千枚と摺るから、弟子が馬連の使い方を覚えるのにいいし、何千枚と数をこなすから手際もよくなる。」
「そうやって実際に手を動かしながら感覚を体に染み込ませていったんだよ。」
「版画っていうのは丁寧にやることも大切なんだけど、絵具を板に乗せて刷毛で伸ばしてからすばやくさっと仕上げないとダメなんだよ。時間をかけて丁寧に摺った時より手際よくさっと摺り上げた方が摺り上がりがいい。昔は電気もないから日が暮れたらその日はそこで終わり。だからなおさら仕事が速くないといけなかった。」
「昔の人は今の職人たちなんかよりえらい手(仕事)が早かったはず。」
「自分(板倉さん)も数物速いじゃんかよ。」
「おれなんか全然速かなねぇやい。遅いよ。」
「今でこそあれ(機械に取って代わった)だけど、もともと摺師っていうのは印刷屋だったわけだからなぁ。昔はそういうわけで数物の重要があったからいいけど、今は数物の仕事なんて無いからなぁ。戦後3,40年代は数物の仕事はかなりあった。」
「当時は浮世絵の仕事は当然多かったけど、クリスマスカードとかメニューとかいろんな仕事があった。今はそれが全て機械でできる。木版画そのものが遠い存在になっている。例えばこれは売り物ではないんだけど、俺らはこうやって年賀状を毎年干支にちなんだ絵柄を木版画でつくったやつを送ったりしているんだよ。職人じゃなくても趣味でやっている人は今でもいる。」
「こういうのって時間かかるけど、作っていても楽しいし、もらってもうれしいじゃない。」


確かに最近は年賀状はパソコンで簡単に作れます。さらに若い世代は、もはや年賀状に機械でプリントをすることすら煩わしく思い、年賀状を出すという習慣そのものがなくなってきているように感じられます。この年賀状を見たとき、今までに感じたこのない人の手で作られたもの独特の温かさを感じました。。機械印刷にはない凹凸の質感やちりばめられた雲母(きら)の輝きがとても印象的でした。一つの作品としても鑑賞することができ、思わず飾りたくなる、そんな年賀はがきでした。毎年1つずつコレクションが増えていくので、年賀状をもらうのがより楽しみになります。人と人とのつながりが希薄になった今だからこそ、作った人の体温が感じられる木版画の伝統を未来に伝えていかなければならないと改めて感じることができました。
「おれらは親方の仕事を見て、数をこなして動きを体に染み込ませることで摺りを覚えていった。マニュアルなんてあるようでなかった。そういう伝統の継承の仕方はあってもいいが、状況が変わった今、人に技術を教えるのにはマニュアルが必要だと思う。わかっていることと伝えることは違うと言うように、自分で感覚的に理解していてもそれを教えることは容易じゃない。関岡さん(今回の浮世絵制作に携わっていただいた彫師の方)のところなんかはそういうところがしっかりしていて、ちゃんと弟子の面倒みててよくやっていると思うよ。」

「最後に彫師・故木島重男氏についてお聞きしたいのですが、どのような人でしたか?」
故木島重男氏は、瞬浮世屋代表の木島の父であり、希代の名工と謳われた彫師・3代目大倉半兵衛の意志を受け継いだ、昭和の彫り界を代表する彫師でした。
「木島さんはとにかく上手かったね。業界じゃ知らない人がいないくらい。まだ教えてもらいたいことがいっぱいあったよ。」
「あぁ、木島さんはすごい彫師だった。摺りの事もよくわかっていた。」
「彫りっていうのはやっぱ摺りのことも知ってないといけない。木島さんはよく摺師のところに行って摺りの現場をじっとみていたんだよ。だからあれだけ摺りのことを理解した彫りが出来る。そういう性格っていうのもあっただろうけど、あそこまでやっていた彫師は木島さんくらい。もしかしたら江戸時代とかはそういうのがあったのかもしれないけど。」
「性格だけじゃあそこまでできない。木島さんは別格だった。
「今はそういう職人間の横のつながりみたいなものがない。彫りは彫り、摺りは摺りでバラバラでやってる。だからこそ版元という存在が重要で、お互いをつなげる役目を果たしてほしい。

今回の取材の中で特に印象的だったのが、職人たちが「バラバラ」だと言う伊藤さんの言葉でした。その言葉の中に、今の浮世絵界を覆う職人たちの孤立感のようなものを感じました。職人たちが垣根を越えて想いを共有しあって一つの浮世絵を作り上げる、それが浮世絵制作における真の分業のあり方であり、瞬浮世屋が版元として目指すべき姿なのかもしれません。また職人間だけではなく、職人-版元、職人-画家、画家-役者など浮世絵制作に携わる人々がつながって、このネットワークが一つの“想い”を共有して動かすことができれば、それは江戸時代の浮世絵制作のプロセスを踏襲しつつもそれを超えた新たな浮世絵制作のプロセスが生まれるのではないでしょうか。
そしてその瞬間こそ、浮世絵の歴史が大きく変わる瞬間なのではないかと思います。

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彫師・関岡祐介、菅香世子

日本画家・平子真理洋画家・広田稔日本画家・笹本正明